出エジプト25章(LeePaulShep.Study)
出エジプト25章(LeePaulShep.Study)
Bible Study 出エジプト25章
8 彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
내가 그들 중에 거할 성소를 그들이 나를 위하여 짓되
22 わたしはそこであなたと会見し、イスラエルの子らに向けてあなたに与える命令を、その『宥めの蓋』の上から、あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、ことごとくあなたに語る。
거기서 내가 너와 만나고 속죄소 위 곧 증거궤 위에 있는 두 그룹 사이에서 내가 이스라엘 자손을 위하여 네게 명령할 모든 일을 네게 이르리라
■中心的に考察・考えた箇所
8節:彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
내가 그들 중에 거할 성소를 그들이 나를 위하여 짓되
住むとはどんな意味なのかを考えてみました。
住むという言葉は、一緒にいて、食べて寝て、生活すること。
一緒に話し合ったり、苦しい時には一緒に乗り越え、楽しい時には一緒に喜ぶ生活。
22節:わたしはそこであなたと会見し、
会見するというのは、顔と顔を合わせて話す、語ること
■そこで、質問。
・どのようにしたら、聖なる神様が、奴隷出身のイスラエルの中に住み、一緒にいて、一緒に食べて寝て、生活することができるのか。
・聖なる神摩が、なぜ、そこまでしようとするのか。
(しかも、22節のように神様は、なぜそこまでして、イスラエルと顔と顔を合わせ、話したいと思っておられるのか。)
■私が考えてみたこと
・今のイスラエルの状況は、荒野の誰かの保護が必要である。
神様が助けてくださる必要がある。だから一緒に住み、彼らとともに歩み、彼らとともに生活してくださることを願っておられた。
・私の質問:
どのようにしたら、聖なる神様が、奴隷出身のイスラエルの中に住み、一緒にいて、一緒に食べて寝て、生活することができるのか。
・質問に対して考えてみたこと:
8節の前半の御言葉、聖なる神様が、奴隷出身のイスラエルの中に住むために、聖所を造らせた。
・私の質問:
聖なる神摩が、なぜ、そこまでしようとするのか。なぜそこまでして、イスラエルと顔と顔を合わせ、話したいと思っておられるのか。
神様はどこにでもおられる方なので、天から、山の上から、雲の中から、イスラエルが必要な時だけに来られて、助けてくださればいいのに、
なぜ、こんなに身近なところで、住み、会うことを願っておられたのか。
・質問に対して考えてみたこと:
神様は、イスラエルを、心からご自分の民として、家族のように考えてくださったから。
愛する人、家族、本当に親しい友達は、毎日会いたい。毎日会って話したい。一緒にいたいと思うから。
■パウロ牧者様から学んだこと
・御言葉を単語で考えず、文章として見るべきである。
その章、全体をかんがえながら、その文章を読むべきである。
・その章を考えながら、文章を考えるとき、その文章の中にある状況を正確に、実際的に、具体的に理解・把握することができる。
8 彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
この御言葉は、造らせるがもっとポイントであり、「造らせよ」+「住む」を考えるべきだった。
「造らせよ」+「住む」を考えるとき、神様の御心、イスラエルの心、両方を知ることができる。
・質問:なぜ、造らせたのか。住むところをなぜ造らせたのか。
・聖なる神様が、ご自分で造ることもできるのに。
・聖なる神様は、どこにでもおられる方なのに、しかも目に見えない方なのに、目に見える様式通りに造らせたのか。
【考えてみるべきこと】
・子が父の家を造るときを考えてみよう。
父のことを考え、父の好み、父の願いを、父がどんな性格で、どのようなライフスタイルで、普段どんな生活をしていて、どのような生き方をしてきたのか、
父のこれからのことも考え、その父とどのように自分が関わってくるのかを考えながら、子は父のための家を造る。
・造らせよ、なぜなら、住むために。
神様の心:神様の聖所を造らせることで、神様のことを考え、知り、神様の命令に従わせる。
イスラエルの心:主の聖所を作りながら、最善を尽くし、そして、神様のことを考え、荒野で神様がともにおられることを実際的にわかるようになる。
・神様はイスラエルの民が、荒野で、神様がともにおられるということを、具体的かつ実体的に、実際的に考え、知るようにするため。
イスラエルは目に見えない神様のことを、すごく漠然たるイメージで持ちやすい。
・目に見える、しかも自分たちが造った神様の聖所をみるとき、
イスラエルに、実際、具体的に、心から、神様のことを考え、実感をもって神様に従わせるために。
■学んだこと・考えさせられたこと
・8節の「造らせよ」+「住む」の文章として考えられず、「住む」という単語だけを考えてしまった。
・部分的単語だけを考えたとき、途中から、より深く考えることができなかった。
・「住む」という単語だけでは、質問も浅くて、深く考えることができず、すぐ行き詰ってしまった。
その25章全体の隠れた宝や脈を考えることがあまりできなかった。
この一週間、なぜどうなったのかを考えてみました。
・良い質問をすべきである。
・良い質問とは何か。
→それは、単語だけではなく、その文章、その章の中の状況の中での、外部的状況と内部的状況の中での、
神様の御心、イスラエルの心を考えさせられる質問が良い質問ではないかと思いました。
・良い質問は、その文章だけではなく、その章全体の中で隠されている宝のような神様の意図の脈絡を見つけることができる。
神様の御心、イスラエルの状況を、新たに知り、理解することができる。
・今,Paul牧者様とやっている聖書勉強は、
それぞれの特異な、特別な、特殊な状況のなかで、普遍的な、変わらない真理を見つけ出す作業・訓練を受けていることを
感じ、学んでいます。
・御言葉を読み、その中で質問をし、その答えを見つけようとして、行き詰ったとき、どうすべきであるか?
→本文の御言葉に戻って、もう一度読み直しながら、新たな心で、新たに「質問」を見つけること。そのように祈ることだと思いました。