出エジプト24章(LeePaulShep.Study)
Bible Study 出エジプト24章
10 彼らはイスラエルの神を見た。御足の下にはサファイアの敷石のようなものがあり、透き通っていて大空そのもののようであった。
11 神はイスラエルの子らのおもだった者たちに、手を下されなかった。彼らは神ご自身を見て、 食べたり飲んだりした。
■中心的に考察・考えた箇所
24:10-11 その中で、10節の「彼らはイスラエルの神を見た」と12節の「神はイスラエルの子らのおもだった者たちに、手を下されなかった。彼らは神ご自身を見て、 食べたり飲んだりした。」のところを考察、考えてみました。
・普通は、罪を犯した人が、聖なる神様を見ると、死んでしまいます。
・出エジプト19:21でも、神様は、身を清めた祭司長たち以外の人たちは神様に近づこうとすると滅びると言われました。
■そこで、質問。
・彼らはなぜ、死ななくて済んだのか。なぜ、神様は彼らに手を下さなかったのか。
・彼らは死ななくて済むだけではなく、神様ご自身を見て、食べたり飲んだりすることができたのは、なぜなのか。
■私が考えてみたこと
・今のイスラエルの状況はどうなのかを考えてみました。
イスラエルはこれからカンナ地に入らなければならない。
そこのカナン地の偶像たちは、目に見える形をしている。
しかし、神様は、御言葉、戒め、契約の神様なので、人々は目に見えない方。
イスラエルはカナン地で定着し、その地で、神様の御言葉を守って生きていくべき。
だから、神様は、神様ご自身を見て、食べたり飲んだりすることで、
神様は「交際する」方だと思いました。
・交際することで、
目に見えないが、生きておられることを伝える
お互いに心を知るようになる
のだと思いました。
■パウロ牧者様から学んだこと
・「なぜ」を考える前に、その御言葉がどんな「意味なのか」を考えるべき。
・その状況の中での、その御言葉が「意味」すること、どんな「意味」なのかを考えるべき
・私が考えた「見て、食べたり飲んだり」を「交際」という言葉、一般的な言葉にすり替えてしまうと、聖書の御言葉の本文の意味がすごく曖昧になる。
・ 「交際」は、一緒に運動することも、旅行したり、一緒に映画を見たりすることも交際である。
・本文の正確な状況:
イスラエルの正確な状況とは、奴隷だったイスラエルが聖なる神様からの守るべき契約の御言葉を聞いた後、彼らが神様の山で、「見て、食べだり飲んだり」している状況。
・その中で、「彼らは神ご自身を見て、 食べたり飲んだりした。」とは、
聖なる神様が奴隷だった彼らのところまで、低くなられ、彼らがみて、食べだり飲んだりする、まるで家族のような関係になってくださった。
奴隷だったイスラエルを自由の身にしてくださっただけではなく、
聖なる神様が低くなられ、家族のようになってくださった。
聖なる神様、栄光の神様が、低くなられ、奴隷や罪人の家族になってくださった。
その大きな御恵み。
(新約のイエス様も同じく低くなされ、私たちのそばに来られ、私たちの家族となってくださいました。)
・状況を正確に考え、まず、その言葉が持つ意味をより具体的に、正確に考えるべきである。
言葉一つ一つを曖昧に考えたり、一般化しないこと。
■学んだこと・考えさせられたこと
1.考える順番は、what → why で考えるべき。
今回は、what を考えず、whyだけを考えてしまったので、すごく曖昧な言葉になってしまった。
2.状況を正確に考え、まず、その言葉が持つ意味をより具体的に、正確に考えるべきである。言葉一つ一つを曖昧に考えたり、一般化しないこと。
出エジプト24:11節の「彼らは神ご自身を見て、 食べたり飲んだりした。」は、
「交際」ではなく、低くなられ「家族」になってくださったこと。