鍵物語・일본어열쇠이야기

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みこ ころ がなり ます よう に

みこころがなりますように
□9月16日(水)ルカの福音書22:39-53(42)

42 「父 よ、 みこ ころ なら、 この 杯 を わたし から 取り去っ て ください。 しかし、 わたし の 願い では なく、 みこ ころ がなり ます よう に。」

 

51 すると イエス は、「 やめ なさい。 そこ までに し なさい」 と 言わ れ た。 そして、 耳 に さわっ て 彼 を 癒 やさ れ た。 52 それから イエス は、 押しかけ て 来 た 祭司 長 たち、 宮 の 守衛 長 たち、 長老 たち に 言わ れ た。「 まるで 強盗 にでも 向かう よう に、 剣 や 棒 を 持っ て 出 て 来 た の です か。 53 わたし が 毎日、 宮 で 一緒 に いる 間、 あなた がた は わたし に 手 を かけ ませ ん でし た。 しかし、 今 は あなた がた の 時、 暗闇 の 力 です。」

 

今日は、イエス様のケッセマネの祈りです。

エス様はこう祈られました。私の願いではなく、みこころがなりますように。

父なる神様のみこころは、御子イエス様が十字架の道をいくために、捕まえられることです。

剣で耳が切り落とされた人の耳も癒し、元に戻すほどの、御力を持っておられるイエス様のことを、剣や棒で捕まえようとしました。

しかも、捕まえにきた、ユダも群衆も祭司長や長老たちも、今まで数を数えられないほど、毎日イエス様は宮で、彼らと一緒にいました。イエス様の奇跡を見て来ました。

剣や棒で、捕まえられる方ではありません。

それを誰よりも、彼らがよく知っているのに、宮に一緒にいるときには、イエス様のことを捕まえませんでした。

正直、あまり理解できないところです。ただ、一つ、イエス様が言われたことだけが、この理解不能な状況の中で、確かなことです。それは、

父である神様のみこころがなりますように祈ったこと、父なる神様のみこころがそれを許したこと、それによって、しばらくの間、暗黒の力、彼らの時が許されたことです。

 

ということは、これらすべてが父なる神様のみこころのとおりのことであることを学びます。それを知るために、それに従うために、祈られたイエス様の祈りを学びます。

権威あるみことばと力あるしるしを行われたイエス様が捕まえられることも、そんなイエス様を剣や棒で捕まえにきた人々のことも、常識では考えられないことです。

それは、ただ、神様のみこころがなるように、御子イエス様が祈ったことから始まったのです。

人が祈らないと、自分の願い、自分の常識の範囲でしか、ものごとを見ることができません。それはこんなときにも、恐れで寝込んでしまう弟子たちのことをみるとわかります。

このようなありえない状況の中でも、神のみこころを知り、それに従うために祈ること、自分の願いではなく、神のみこころがなりますように祈ることがもっとも大切です。私が神のみこころがなりますようと祈るものとなりますように祈ります。