鍵物語・일본어열쇠이야기

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コリント人への手紙第二7:2-16

コリント人への手紙第二7:2-16
7:8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、私は後悔していません。あの手紙が一時的にでも、あなたがたを悲しませたことを知っています。それで後悔したとしても、
7:9 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。
7:10 神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

この世で様々な悲しみがあります。
大きな悲しみもあれば、楽しみにしていた冷蔵庫のアイスをたれかが食べてしまったような小さな悲しみもあります。
この世の様々な悲しみがあるように、信仰生活することで感じる悲しみもあります。

悲しみとは、何かに由来してこみあげて来る感情です。
ところが、今日のみことば、
7:10 神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
悲しみには結果が生じることを教えています。

悲しみは悲しみで終わりません。
悲しみには、その結果を生じさせます。

神様のみこころに添った悲しみには、悔い改めを生じさせると教えています。
世に添った悲しみには、死をもたらすと教えています。

神様のみこころに添った悲しみとは、神様のみことばに従おうとするとき、
この世を生きている私たちが、この世の考え方や価値観、慣習に逆らうことで生じる
悲しみです。不安と恐れからくる悲しみです。

でも、聖書はこう言っています。
神様のみこころに添った悲しみは、悔い改めを生じさせると。
それは悔い改めによる永遠のいのちが得られることです。

私たちが、今の自分が、何によって悲しんでいるのか。
主のために悲しむものとして、今日一日を生きるように祈ります。