鍵物語・일본어열쇠이야기

日本在住の韓国人と日本人のための「和얼」Jeremy's Cafe

コリント人への手紙第一9:19-27

19 私 は だれ に対して も 自由 です が、 より 多く の 人 を 獲得 する ため に、 すべて の 人 の 奴隷 になり まし た。

25 競技 を する 人 は、 あらゆる こと について 節制 し ます。 彼ら は 朽ちる 冠 を 受ける ため に そう する の です が、 私 たち は 朽ち ない 冠 を 受ける ため に そう する の です。

 

奴隷とは、ある主人に属していて、その人生、日々の生活、将来すべてをその主人の命令に従って生きる人だと思います。

パウロが生きていたローマ時代、競技場で走る人は奴隷です。賞は、自由の身になることです。しかし、パウロローマ市民であり、もうすでに自由の身です。

福音の主・イエス・キリストの奴隷となったパウロが、
奴隷となって、信仰の、福音伝播の競技の走りをしています。

パウロが得られる賞は、自分の身の自由ではありません。彼はもうすでに、世においてはローマ市民という自由民で、罪においてもイエス・キリストによって自由となりました。
そんな彼が得られる賞は、罪の奴隷になっているより多くの人を、自由の身にするためでした。

 

私たちもパウロのように、イエス・キリストによってすでに自由の身になった者として、より多くの人のために、イエス・キリストの福音のために、信仰の競技をするものとなりますように祈ります。