鍵物語・일본어열쇠이야기

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思考とは

ja.wikipedia.org/wiki/思考とは

・思考とは何かという疑問は、人類の歴史の中で繰り返し問いかけられてきた。


■広義と狭義
思考とは、

・何らかの事象や目標などの対象について考える働きまたは過程の事であり

・対象となるものの意味を知る、

・意味づけを行うことで働かせる理性的な脳や心の作用を言う

 

広義には「心」が動くことそのものを言い、「内化された心像・概念・言語を操作することである。

・狭義には、何らかの目標達成や問題解決のために行う一連の情報処理を指し、思考する対象の意味を理解しながら進められる認知的な行動である。

 

■特徴
狭義の思考は情報処理のひとつである。ただしそれは断片的な情報を連想で引き出しつつ論理的に繋ぎ合わせながら[14]言語やイメージを用いて行う内的なもの。←本来の意味を失われたケースとも言える。

広義には直感やイメージからの思考ではなく概念的思考である事としている

思考自体は直面した問題に対応してどのような行動を取ることが適切かという回答を捻出する努力を払っているまでの状態と言え[15]、思考は一連の行動におけるひとつの要素と言える。

 

■言語と思考
・プラトンは「思考」を自分自身との内的な「対話」と呼んだ

 →聖書を思考することは、神様との「対話」であり、
  神様の思想、考え、神様がどんな方なのかを知ることである。

・思考とは言葉(ロゴス)

「論理的思考」の定義は様々である。

 広義には直感やイメージからの思考ではなく概念的思考である事としている

 

■井上尚美は3つの定義を提唱。

・1.広義には直感やイメージからの思考ではなく概念的思考である事としている

・2.次に論証の形式である前提‐結論や主張‐理由という骨格がある事、

・3.狭義では推論が形式論理学の規則に従っている事を挙げる

 

 この論理的思考は、直感的発想にある正確性や明示性に欠ける点を補い、妥当なものかどうかを確認・察知する有効な手段であり、前提を漏れなく明示しつつ真偽を検証し、さらに推論のプロセスを明瞭にして検証可能な状態にすることができる。

しかし、論理的思考で得られた結論が必ず正しいとは言い切れず、また絶対に結論を得られるものではない点にも留意する必要がある。

 

→ジェレミの考え:

・上記は「(目に見える)形」を重視する日本的観点からの「論理的思考」の定義

・西洋の哲学的観点からの「論理的思考」の定義は、
 「(目に見えない)理性・ロゴス・本質・思想」を重視する

 

自分は今まで、非常に日本的「論理的思考」をしてきました。

・直観的発想が妥当なのかどうかを確認・察知するための有効な手段


・推論のプロセスを明瞭に、明示するための検証の方法

 その結果、必ず正しいとは言えきれず、
      何を言っているのか、すごく曖昧で、
      結論を得られないものになってしまっていた。

 

聖書の御言葉を「論理的に思考する」ためには、

直感やイメージからの思考(日本的論理的思考)ではなく、

・まず、西洋的論理的な思考(概念的思考)を学び、訓練する必要がある。

 

今までの(日本的な論理的思考)とこれから学ぶ(西洋的な論理的思考)をもって、
両方を理解する者となり、愛する日本の人々に「聖書・御言葉」を伝えたい。
そうなるように祈ります。