鍵物語・일본어열쇠이야기

日本在住の韓国人と日本人のための「和얼」Jeremy's Cafe

仲介者イエス様を学びます。

2019.1.7~2019.6.28

マルコ福音書11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。

人生のあらゆる問題や悩み、苦難、喜びの答えは、神様を信じることにある。とイエス様は言われました。

 

この御言葉をもって、転職し、代表までになりました。

すべてにおいて、主は祝福してくださいました。

メンバー、顧客、案件等々、すべてにおいて。

ところが、6月28日(自分の誕生日)、次のステップに向けて、みんなで頑張って行こうと、乾杯をしたその次の日の8時、いきなり突風に吹かれ、目を覚ますと、一人だけ、皆がいる舟から弾き出されてしまって、陸地に取り残されてしまった。

 

今年の御言葉は、

マタイ11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。11:27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 

1月から、毎日、この御言葉をもって祈り続けました。

このようになってしまったときにも、ずっとこの御言葉に基づいて祈りました。

主は、横に倒れて、死にたい、死ぬほど苦しんでいる、死んだ者と同様な心と体とたましいの私に、そのベットのとなりで、そーと座ってくださり、こう言ってくださいました。

「죽어야부활이있지,부활해야열매를맺지.」

この御声を聞いたとき、私はやっと起きることができました。

そして、向こうから決定的な違法的書類が届いた。

私は残された人たちのことを考え、いろいろ悩んでいましたが、

彼らは違法をし、越えてはいけない線を越えてしまったのだ。

 

それでも、私は悩んだ。イエス様から一方的に罪を赦されたクリスチャンが、彼らを赦さず、赦さず、法的に解決してしまうのは、どうなのか。

 

印を押して、関係を立つことが、イエス様からの救いの赦し頂いたことを信じる者がやるべきことではないのか。

自分は罪という最も重いものを赦されたのに、彼らを赦せないのは、クリスチャンとしてはあまりにも違うのではないかと、本当に毎日、毎日、ずっとずっと、悩んだ。

 

私は彼らが間違っていましたという誤りの一言を聞きたいだけかもしれません。

しかし、弁護士さんは言った。それは会社をやっている以上、彼らは決してそれを言えないのだ。だから、お金をもらうことは、彼らが間違っていたことを認めることである。という話を聞いて、なるほどと思いました。

 

それでも、私は悩んだ。

 10年前に自分は自分は、一方的に法的な赦しを頂いたのだ。

それなのに、彼らに法的に話すことが正しいだろうか。

そのとき、主はこう言われました。

「お互いが解決できない、相手が越えてはいけない線を越えて、あまりにも一方的に出るので、不信しかないから、話しようがないから。何を言ってくるか、会って話し合ってもまた何の嘘をつき、6月21日、28日のようになるか、わからないから。向こうは会社だから書面で謝れないし、こっちは彼らかいきなり勝手にやってしまったうえ、いろいろ嘘をつき、そして、勝手に私の名前で印鑑を押してきたのだから。

だから、仲介者が必要なのだ。」

そうでした。主よ。この解決策は仲介者が必要なのです。

その仲介者が弁護士先生です。公正にできる立場の人として。

私は、だから、仲介者が必要であるんだという主の御声を聞いて、

マタイ11:26-30の御言葉の意味を少し悟ることができました。

毎日毎日どんな意味であるのだろうと思い続け、祈り続けましたが、

こんな大変なことが起きたことで、この御言葉の意味を身に染みるほど

考え、受け入れることができまして、本当に感謝します。

 

マタイ11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。11:27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 

罪によって永遠に滅びるべき罪人である私、私たちが、父を知ることができるでしょうか。それは全く不可能なことです。父のところに行くことは全く不可能ことです。

だから、聖なる父なる神様と、永遠に滅びるべき罪人の間に、仲介者が必要です。

この仲介者であるイエス様がなければ、父を知ることが決して不可能なことです。

お互いの思いを、罪人の苦しみを、父なる神様の御心を、お互いに知るようにするためには、仲介者であるイエス様が絶対必要です。

だから、このイエス様のところに行く時、聖なる父なる神様に仲介してくださいます。この仲介者イエス様が、私たちの心と体とたましいを休ませてくださいます。

自分の罪と咎のため、いのちの道、天の御国への永遠のいのちへの道を全く知るはずもなく、罪と死の勢力によって一生苦しんで滅びるべき、本当に苦しい、つらい人生だった私たちが、この父なる神様と私たちを仲介してくださるイエス様のところに行けば、イエス様が休ませてくださるのです。

 

その仲介者であるイエス様は、何かを要求しません。今までの罪を指摘し、追い出しません。心優しく、へりくだっているから、どんな罪をも、赦し、父なる神様との仲介をしてくださり、御国への道に導いてくださいます。

その仲介者であるイエス様のくびきを負って、イエス様から仲介者の道を、父なる神様を知る道を仲介する道を学ぶとき、その道を歩む時、私たちのたましいに安らぎがあります。

 

私はあれからこの10年間、今までは、何もできなかったので、何も返したら、払ったりすることが何もできない、何も持っていなかった、何も、どうすることもできない、全くどうしようもできない。少しでも返すことが全くできない、何も持っていなかった、どうすることもできなかった。罪人として、父なる神様の御前で。

ただ、仲介者であるイエス様にひたすらお願いするしか、哀れみを請うしかありませんでした。何も持っていない、何もなかった、どうしようもない罪人だったから。

 

今回のことをきっかけに、私はこれからの10年をどう生きるべきか。

それは、仲介者イエス様と一緒にくびきを負って、仲介者イエス様から学ぶことができるように祈ります。

 

今までただ単に、何もないのでただ哀れみを請うしかなかった罪人の立場でしか、主を見ていなかったですが、

これからは、仲介者であるイエス様、十字架を背負い、使命を担い、責任、責務を果たすべき、父を知ることにおいて、自分も、また多くの人々にも、仲介者としての責務を果たすべき視野、観点、考えをもって、

ただの罪人としてではなく、仲介者イエス様とともにくびきを負う者として、一段成長した、信仰生活を決断し、

 

今回仲介者にお願いするハンコを押しました。

 

私が仲介者であるイエス様のことをしっかり学び、父なる神様の御心を知り、

一段と成長する者として、この10年を生きることができるように切に祈ります。

 

マルコ福音書11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。

 

マタイ11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。11:27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 

アーメン。

ハンコを押した後。

エレミヤ

2019.7.18