理由はない
今回の夏修養会は、ずっと頭痛と体の不調が続きました。
その中、佐々木さんご家族が参加されて、一緒に主の御恵みと御言葉を聞くという
喜びと感謝のあふれることがありました。
私は修養会中に、何も考えられませんでした。何かを求め祈ることもできませんでした。賛美する力も、話し合う力も、御言葉を聞く力も、祈る力さえもなかなか出ませんでした。
何を見ても、何を聞いても、心は感動を受けられず、頭で何かを考えることさえもできずぼーとする時間だけが過ぎていました。
二日目に書いた所感には、神様に感謝するという言葉を一言も書いてないことを所感発表の時に気づき、自分の状態が深刻であることに気づいていました。
ただ、横に座っていらっしゃる佐々木さんのために、恵みをくださるようにと祈ること以外は、私は何もできず、なにもしませんでした。
部屋に入ったら、すぐ睡眠薬をいつもの2倍を飲んで、すぐ寝てしまいました。
そんな修養会の最後の夜に、ある賛美の歌詞を用いて、主が私にこう仰せられました。
「理由はない」。
このわたしがあなたを愛することに理由はない。あなたを創造したことに理由はない。
あなたのためにわたしの愛する御子イエスを十字架にかけられ、蘇らせ、あなたに永遠のいのちを与えることに理由はない。
あなたの人生にどのようなことが起きて、どのようにあなたを導き、どんな人生に生きらせるのかは、このわたしが主である。
わたしは主だから。出3:14 I AM WHO I AM 「わたしはある」主だから。
この神様の御声に、私の騒がしかった心、ずっと痛かった頭痛、体の痛さ、だるさもなくなりました。自分の人生への後悔や悩み、疑問、絶望の感情もなくなりました。
私は主である神様の、私の人生への主権を心より受け入れました。
すべてを主に委ね、大祭司であるイエス様に委ね、「理由はない」主の愛を、主の主権を信じて生きていこうと祈りました。
私が同労者であるリズ宣教師を愛していることに「理由はありません」ただただ、好きですし、愛しているし、かわいいし、美しいです。
主も、私への心も同じであると思います。
主の御声を聞いた時から、私の心は静まり、私の視線は主に向けるようになりました。主に感謝致します。
これからの人生はどうなるかわかりませんが、主である神様の御前で、主に視線を固定し、主の主権を認め、委ねていきる、主だけを信じて生きるように祈ります。
主の御声に改めて、心から感謝致します。JNPamen.