鍵物語・일본어열쇠이야기

日本在住の韓国人と日本人のための「和얼」Jeremy's Cafe

「彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は言われる──わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。

 

今日の本文のイスラエルの民たちは、こう言っています。

「『神に仕えるのは無駄だ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の得になろう。」

彼らは、神様との契約を破ったので、神様の御恵みを忘れてしまったので、
国が滅び、バビロンの捕虜となったのです。ようやく、戻ってきて、主の城壁を立て直すことができたのに、彼らは隣にいる賢そうに見える異邦人たちのことばを聞き、自分の欲を、自分の利益だけに関心がありました。

神に仕え、主を信じるのは、自分の人生、自分のいのちに益になります。罪から救い出され、永遠のいのちが与えられるからです。

しかし、主に仕え、主の御言葉を守るのが、自分がほしいと思うもの、自分の欲によるもの、自分が考えて自分に良しと思っているものを得るためではないのです。

神を信じ、神に仕え、主の御言葉を守る理由は、私自身が、私の人生が、主の宝となり、神様の子供になるためです。ご自分の子供に照らしてくださる義の太陽を浴びさせ、癒してくださる神様の栄光が、私によって表れるためです。


100年という人の歳の中で、主に仕えるのは得にならないと思うのと、永遠のいのちを得させる神様の子供となるのと、どっちが無駄なのかを、今日の御言葉は私に聞いています。

私が今日一日、主の宝、主の子ども、主に仕えるものとなり、義の太陽を浴び、癒されるものとなりますように祈ります。