鍵物語・일본어열쇠이야기

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コリント人への手紙第一16:13-24

コリント人への手紙第一16:13-24
13目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。
14一切のことを、愛をもって行いなさい。

今日の御言葉を読むと、まるで戦いに挑んでいる兵士たちに励ましの言葉をかけているように、
コリント教会の聖徒たちに、励ましています。
コリントという都市は、ローマ帝国の中でも有数な経済都市です。
そのコリントは、ローマ皇帝の神殿をはじめ数えきれない偶像崇拝
自由が度がすぎてしまい淫乱でかつお金第一主義の思想の都市でした。

そんなところに福音が伝えられ、教会が立てられましたが、
しばらくして、そこに、福音を守る人たちと福音に反する様々な考えや主張の人たちで
教会が分裂されそうでした。

そこで、使徒パウロイエス・キリストの福音の兵士となって、
しっかり戦い抜くように励ましています。

兵士たちが戦うとき、一人で戦いません。
一緒に戦ってくれる仲間や同僚、戦友たちがいるから戦えるのです。

13節から24節まで、パウロは、
コリント聖徒たちに、福音のために一緒に戦ってくれる仲間、戦友が
たくさんいることを伝えています。

「あなたがたも、このような人たちに、また、ともに働き、労苦しているすべての人たちに従いなさい。」
・ステファナの一家はアカイアの初穂
・ステファナとポルトナトとアカイコ
・アジアの諸教会
・すべての兄弟たち

場所は遠く離れているかもしれませんが、福音でつながっている
たくさんの仲間たちが、全世界にいるのです。

私たちが今日もこのような信仰の仲間がいることに感謝し、
一日を力強く生きることができるように祈ります。

レビ記4:1-35

レビ記4:1-35
2「イスラエルの子らに告げよ。 人が、主がしてはならないと命じたすべてのことから離れて、気づかずに罪に陥り、その一つでも行ってしまった、以下のような場合には──
3油注がれた祭司が罪に陥って、民が責めを覚える場合には、その祭司は自分が陥った罪のために、傷のない若い雄牛を罪のきよめのささげ物として主に献げる。

交わりを通して神様とともに住むことになったイスラエル民が、
軽んじてしまいやすいことがあります。
忘れてしまいそうなことがあります。
それは、神様の本質は、聖なる方であることです。

民も、神様に仕えるようにと油注がれた祭司たちさえも、
神様が聖なる方であることを忘れ、軽んじてしまってはいけません。

神様は罪人は赦してくださいますが、罪は決して許さない方です。
罪は必ず代価を払わなければなりません。
自分の罪のために、若い雄牛が血を流す犠牲が必要です。

この犠牲を忘れてはいけません。
私たちがイエス・キリストの十字架の犠牲を忘れないことは重要なことです。
そのような聖なる神様が私たちの間に住まわれるために、
御子キリストをお与えになったその御恵みこそ、

神様と本当に意味で、良い交わりの関係になることを覚えて生きる一日となりますように祈ります。

レビ記3:1-17

レビ記3:1-17
1そのささげ物が交わりのいけにえの場合には、献げようとするのが牛であるなら、雄でも雌でも傷のないものを主の前に献げなければならない。

16祭司は祭壇の上で、それを食物として、芳ばしい香りのための食物のささげ物として焼いて煙にする。脂肪はすべて主のものである。
17あなたがたがどこに住んでいても代々守るべき、永遠の掟はこれである。あなたがたは、いかなる脂肪も血も食べてはならない。」

今日は、神様との交わりをどうするかについてです。
昨日は、家族の一員としての神様の覚えの分のことでした。
今日は、家族としての神様とどのように交わりをするのかについてです。
家族の間の交わりにもルールがあります。
一つ目は、食事をすることで、交わりをすることです。
食事をするとき、心が嬉しくなり、心通うコミュニケーションができます。
神様はこのように私たちと心通うコミュニケーション、交わりを願っています。

二つ目は、その食事をするときのことです。
その心通う交わりの食事の場で、特に貴重なものを食する場合は、
その家族それぞれ好きなものを切り分けます。
父が好きな部分、母が好きな部分、子供が好きな部分が
それぞれあります。
特に、その家の家長である父が好むものは、父の分にします。
それと同じです。

神様は脂肪の香りを好まれます。
そして、人は血を食べないことがいいと思っています。
今日の本文1,16,17節を見ると、
神様はしてほしいではなく、必ずそうしなければならないという
表現をしておられます。

それは、交わりをするとき、
親しい家族の中でも、むやみな態度をとらず、
節度を保つことが重要だということです。

生きておられる神様がイスラエルの中に、
イエス・キリストを通して私たちの中に、
住まわれ、交わりするという御恵みを
喜んで、なお節度をもって、楽しむことができるように祈ります。

出エジプト記37:1-29

出エジプト記37:1-29
1 ベツァルエル は、 アカシヤ 材 で、 長 さ 二 100 キュビト 半、 幅 一 キュビト 半、 高 さ 一 キュビト 半 の 箱 を 作り、

 

神様は、モーセを通じて命じられ、ベツァルエルをはじめとするイスラエル民に造らせました。
神様は、ご自分が住まわれる家を、イスラエル民に造らせました。
神様は、この世のすべてを創造された方です。
神様は、私たちのための、天の御国の家も造ってくださいました。
ところが、神様は、イスラエル民とともに住まわれる、この世での家を
イスラエル民に造らせました。

神様はイスラエル民、私たちとともにおられるためのご自分の家を、
イスラエル民、私たちに造るように命じられます。

私たちが造り、そこに霊である神様が臨在する素晴らしい御わざです。
これこそ、神様が願っておられる神様の御わざです。

この神様の御恵みに感謝し、今日も主とともに過ごすことができるように祈ります。

出エジプト記35:30-36:38

出エジプト記35:30-36:38

1ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のあらゆる仕事をする知恵と英知を主に授けられた、心に知恵ある者はみな、すべて主が命じられたとおりに仕事をしなければならない。」
モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および主が心に知恵を授けられた、すべて心に知恵ある者、またその仕事をするために進み出ようと、心を動かされた者をみな呼び寄せた。

神様がくださったのは、知恵と英知です。知恵は英語でskillです。
仕事をするためには、三つの要素が必要です。
材料、道具、技術です。
仕事をやるときには、その材料を最大限活用するため、その特性をよく理解する必要があります。
そして、その材料を特性に合った、材料を生かすための道具が必要です。
最後は道具を使うための熟練した技術、長年の経験からの腕が必要です。

神様は、神様の御わざに用いりたいと思う人々に、これらを授けられました。
神様の仕事は、頭ではなく、心でやるべきとよく言います。
ただ、今日の御言葉を見ると、心に知恵と英知を与えてくださいました。

私たちがこれから神様の偉大な御わざに用いられるために
心をもつと神様が必要な知恵と英知を与えてくださいます。

私たち一人ひとりが、心と知恵と英知が神様から授けられ、
主の御わざに用いられるものとなりますように祈ります。

出エジプト記32:1-14

出エジプト記32:1-14
4彼はそれを彼らの手から受け取ると、のみで鋳型を造り、それを鋳物の子牛にした。彼らは言った。「イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から導き上った、あなたの神々だ。」

9主はまた、モーセに言われた。「わたしはこの民を見た。これは実に、うなじを固くする民だ。
10今は、わたしに任せよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がり、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とする。」

11しかしモーセは、自分の神、主に嘆願して言った。「主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から導き出されたご自分の民に向かって、どうして御怒りを燃やされるのですか。
12どうしてエジプト人に、『神は、彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ』と言わせてよいでしょうか。どうか、あなたの燃える怒りを収め、ご自身の民へのわざわいを思い直してください。

14すると主は、その民に下すと言ったわざわいを思い直された。

イスラエル民をエジプトから連れ出したのは、モーセの神、イスラエルの神、主です。
しかし、彼らはモーセイスラエルも目にみえなくなって40日間が限界でした。
彼らは、自分たちをエジプトから導き出されたのが、鋳物の子牛ではないことを知っていながらも、
とにかく、一日でも早くカナン地に早く入りたかったでしょう。
自分の感情ややりたいことを抑えられず、モーセも神様も捨てて、
自分を欺き、罪を犯したイスラエルの姿から、
私たち自身の弱さ、感情の勢い、欲望、愚かさなどを垣間見えます。

そんなイスラエルのために、祈るモーセと思い直してくださる神様を学びます。
私たちには、私たちのためにいつも祈ってくださるイエス様といつもともにおられる聖霊がおられます。
今日一日も、主の前で生きる者となりますように祈ります。

出エジプト記30:1-21

出エジプト記30:1-21
7アロンはその上で香りの高い香をたく。朝ごとにともしびを整え、煙を立ち上らせる。
8アロンは夕暮れにともしびをともすときにも、煙を立ち上らせる。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。
15あなたがたのたましいのために宥めを行おうと、主に奉納物を納めるときには、富む人も半シェケルより多く払ってはならず、貧しい人もそれより少なく払ってはならない。

神様は、朝ごとに夕暮れごとに、煙を立ち上らせるように命じられました。
そして、たましいのための宥めを行うとき、富む人も貧しい人も同じ半シェケルを払うことを命じられました。
そこで、考えられるのは、
神様は私たちと毎日話したいと思っておられ、毎日私たちのそばにおられる方であることです。
香りの高い香を通して、神様の御心が宥められるように、主のかたち似たせて作った私たちのたましいも安らぎを得ることを
願っておられることです。

この世で私たちは毎日毎日、仕事や勉強、色々なことで、肉体も心も疲れてしまいます。
神様はそんな私たちが、神様によって、癒されることを願っておられます。
その神様の心の表れこそ、イエス・キリストの福音です。
永遠の宥めであるイエス・キリストの御言葉一言で、私たちの心を、たましいを癒して頂ける今日一日となりますように祈ります。