鍵物語・일본어열쇠이야기

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コリント人への手紙第二3:7-18

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コリント人への手紙第二3:7-18

3:7 石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、
3:8 御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。
3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます。


私たちがこの世で一所懸命何かをやるとき、それはそのやることに対する栄光を受けるためです。
学生が熱心に勉強するのは、良い成績を得るという喜びと栄光を受けるためであり、
働く人が一所懸命働くのは、その代償である給料をもらうためにもありますが、
その仕事を成功させることで、得られる満足感と栄光を得るためでもあります。

聖書は、律法のことを石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものだと言っています。
律法は神様がイスラエル民が罪と死の支配に入らず、一所懸命律法を守り、神様から離れないようにするために与えられました。
しかし、イスラエル民はその律法に縛られてしまい、律法を守ることばかり、表面的なことばかりに縛られました。

仕事も勉強も同じです。
文字通りのことに縛られ、勉強しなくちゃ、仕事しなくちゃという社会の律法に捕らわれやすいです。
すると、そこには、律法にとらわれたイスラエル民のように、喜びも満足感もありません。
ただ、やっているだけ、死に仕えるような務めの仕方しかできないのです。

3:8 御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。

御霊は、目に見えない方です。私たちの心の中に臨まれる方です。
この方に仕えるのは、心から進んで仕えることです。
自発的な務めとなります。そのとき、喜びも満足感も感謝も生まれて来ます。
その自発的な務めによる栄光は、どれだけ、輝かしいものでしょうか。

私たちが今日も祈りと感謝と喜びをもって、福音を信じたものとして、
御霊に仕える務め、自発的に進んで主のために、勉強し、仕事をする一日となりますように祈ります。